最後の試験外泊の時に書いた記事を載せます。

閉鎖病棟は未知の世界ということもあり、実際に起こっていたことについて記述しました。

今思えば、今後、精神保健福祉の仕事をしていくのに、貴重な体験になりました。

これが、職員の立場であれば、日常なのでしょうが、

患者の立場であったからこそ、生の経験ができ、生の声が聴けたと思います。


以下が記事本文です。
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午後の日差しを浴び、奥華子を聴きながらBLOGを書いています。

さて、5ヶ月間の入院生活もあと1週間で終われそうになりました。

ココロのヤマイをお持ちの皆様は自宅療養の方が多いですが、

そもそも入院環境はどのように感じますか?

一般的には
「社会で生活が困難な方を保護する場所」
というのが一番の理由と考えてます。

私の場合は
「制限された環境で自分を振り返り反省する場所」

という感じに捕らえていますし、実際に入院環境自体が治療になりました。

精神科入院環境(保護環境)というのは、さまざまな捕らえ方があると思います。

通常は一般病院と同じくベッドがあり、患者さんが入院しています。
しかし、理性を失い、とんでもない行動をしてしまう患者さんが多々おります。

また、水中毒にも関わらず、水を飲むことをやめられなく、目が上に上がってしまうなどして、命の危険にさらされている患者さんもいます。

そういった患者さんは「拘束」されたり、「隔離」されているのが実際です。

このように聞くと「人間として扱え!」という意見が多いと思います。

しかし現実には、「扱わない」のではなく「扱えない」のです。

とんでもない行動を取ってしまう患者さんは、他の患者さんに危害を加えてしまうなど、二次災害になることがしばしば見られました。

職員が押さえ込んでも暴れてしまい、薬や注射をしても落ち着きません。

そうなると保護室に隔離されました。

その患者さんが隔離されると、私を含め、他の患者さんはホッとしたことを覚えています。

また、患者さんの中に、重度の知的障害を持つ方がいるのですが、

他の理性を失った患者さんに恫喝されると、言い返すだけでなく、向っていってしまうのです。

一般的に怖い人には近づかないようにすると思いますが、そのことが分からないのです。

例えるなら、走ってくる車が危ないと認識できずに突進してしまうような、小さい子供のような行動を取ってしまいます。

その為、知的障害を持つ患者さんは拘束されました。

これは、その患者さん自身を危険な目に会わせない為だと思います。

以上のように、精神科病棟は恐怖な環境ではあるのですが、この環境で生活できるのは職員に全てを任せられるからだと思います。(実際に二次被害は防げないこともありましたが)


しかしその職員の中には
「怠慢だ!」
と思えるような方や、
患者さんに「頭がおかしいから仕方が無い」
などの差別的な言葉を発するような方もいます。
更に言えば、暴走族まがいに、病棟前の職員駐車場で、改造車をフカして騒音を発する職員までいる状況です。
そして、相談員にそれを家族から言ってもらっても全く改善がありませんでした。

患者さんを押さえつけるのは職員ではありますが、職員の秩序も改善してもらいたいです。

ついでにいえば、朝飯はメシと味噌汁とふりかけとがんもどきのカケラだけ。。。ひどい!!!

ああ、エキサイトしてしまいました(><;)

話がそれてしまいましたが、
「制限された環境で自分を振り返り反省する場所」
としての精神科入院は本当に自分の人生を変える経験だったと思います。

前の日記にも書きましたが
「今までどのようないけない行動をしていたのか?」
「そして現在どのような気持ちなのか?」
「今後どうしていきたいのか?」

これらのことをひたすら考えることができます。

又、国家試験の勉強も他の患者さんに邪魔されなければはかどります。

入院中は通信の制限はあるので、インターネットや携帯をいじることはできませんが、

その環境が良かったと思います。誘惑が無くて・・・

何かあれば職員に言えば良いですし、自分では何もしなくても生活が成り立ってしまう環境なのです。


しかし、実社会なら、基本的に自分で選択して生活を続けなければなりません。

そこで与えられるストレスは多大であると皆様も思っていることと思います。

ココロのヤマイになることは、ストレス耐性に欠けていることも一つの理由と考えます。

そして、優しくされたいということが先行して、裏切られると絶望感にさいなまれます。


私自身、人にも優しく、自分にも甘い性格です。

その性格ゆえ、浪費はするし、大量飲酒はするし、病気のせいにして仕事は怠慢になるし、

人に嫌われると絶望感にさいなまれ、その理由も考えずに、残っている友達に甘えます。

本当にダメ人間です。

でも、この先、このようになってしまう自分と向き合いながら、言い訳せずに生きて生きたいと思っております。


こんな長く、差別的な表現に似たものがあったにも関わらず最後まで読んで頂いてありがとうございます。


今回は退院前に、入院環境を知っていただきたくこのような日記を書かせていただきました。

明日病院に帰りますが、来週はいよいよ退院です。
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以上が記事です。

本当に、精神障害、知的障害に対しての考え方、アプローチの仕方が
軽度、重度により変わってくる経験でした。

「平等に扱うことが大切。大人として扱うことが大切。」
と言われる方も多いと思います。
しかし、その方その方に理解をしてもらえるように、
言葉を選ぶ(子供をあやすようになるような言葉)
ことが必要になると思います。
日本語の分からない外国人に、流暢な日本語で話すことと同じと考えます。

ある施設が問題になって、
「隔離など、人間として差別的に扱われている」
など、ニュースがありましたが、
他の入居者へ危害を加えるなど、2次被害を防ぐ為、
また、働いている職員の安全も確保しなければいけないと思います。

入居者、入居者の家族、職員、差別を訴える方々、他の方々
それぞれ、視線が違っていることは仕方の無いことではあります。
それぞれの考え方がのベクトルがあまりにも色々な方向に向いてしまっている為、
津久井やまゆり園の記事を書くことができませんでした。

私は、どの立場にも立ったことがありますので、各々の気持ちは多少理解していると思います。
元職員の犯人の気持ちもわかりますが、殺人は決して許されることではありません。
犯人の障害者と相対しての「ストレスメーター」が臨界点を超える前に職を辞せれば、この事件は起こらなかったかもしれません。
また、職員の中には入居者に対して、少なからず怒りを覚えている方もいると思います。
実際に会社員の方でも、さまざまな人間関係に苦しんでいる方も多々おられます。
気持ちとしては似たところもあるかもしれません。
そこで、前述のとおり、「身を引く」なり「かわし方を覚える」なり、
余計なストレスが増えないようにすることが極めて大切であると考えております。
これは、自分自身にも大きく言えることでもあります。


障害者に対する扱いの件に戻りますが、
「平等に扱いたくても扱えないのが現状」
という例もあることを、世の中の方にできるだけ知ってもらえるようにして、
重度、軽度と違いはありますが、自分自身の良いところも悪いところも
少しでも気付いてもらえるきっかけになれるよう、
私は自分のできることを、これからも少しずつ行っていきたいと考えています。